アルベルゴッティの世界

アルベルゴッティ家

西暦900年代、ドイツの皇帝オットーⅠ世と共にドイツからイタリアはトスカーナに入り、アレッツォに定住。
教会との縁が深く、これまでに5〜6人の司教を輩出。
1300年代にはバローネ(男爵)の称号を受けた。
アレッツォの街の中心には、アルベルゴッティの名を冠した通りがあり、かつてアルベルゴッティ家が所有していた建物(壁面には家紋が残る)は街の資料館になっている。
現在の当主はトマーゾ・アルベルゴッティ氏。
アレッツォの郊外でアグリツーリズモ(※1)を経営、ワインの製造を中心とする農業会社も経営している。
トマーゾ氏はシエナ大学経済学部を卒業、家業のアグリツーリズモを継いでいる。

(※1) 欧州発祥。主に都市居住者が郊外や田舎にある農場や農村で余暇を過ごすこと。
日本ではグリーンツーリズムと呼ばれることが多い。農村民泊。

エンリコ祖母

末裔である前男爵エンリーコ氏の祖母。
エンリーコ夫妻には子供が3人おり、長男のトマーゾ氏はシエナ大学経済学部を卒業後、家業のアグリツーリズモの経営を継ぎ、爵位を継承している。

1000年以上続く歴史

900年代に、ドイツの皇帝オットー1世と一緒にドイツからトスカーナに入り、アレッツォに住み着いた。
実業家や銀行家が多いトスカーナの貴族の中では珍しく、教会とのつながりが深い。
アレッツォの中心には、アルベルゴッティ家がかつて所有していた建物が多くあり、壁面には家紋が残っている。
街の中心の通りにはアルベルゴッティの名前が残り、市民に親しまれている。

バローネ(男爵)の称号

教会とのつながりが深いアルベルゴッティ家は、今まで5,6人の司教を出し、1300年代にバローネ(男爵)の称号を受けている。
一族はシエナやフィレンツェにも広がり、フィレンツェ共和国の政治家を務めたフランチェスコ・アルベルゴッティは、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会に眠る。

バローネ(男爵)の称号

現在はアレッツォの郊外でアグリツーリズモを経営し、ワイン製造を中心とする農業会社も経営している。
エンリーコ夫妻の子供は3人。
長男のトマーゾ氏はシエナ大学を卒業後、家業のアグリツーリズモを経営し、バローネ(男爵)の称号を継承している。
長女のセレーナさんはシエナ大文学部を卒業。
卒論では自分の一族の歴史を研究した。
次男のベルナルドさんはシエナ大の法学部を卒業し、弁護士として活動している。

アルベルゴッティのワイナリー

アルベルゴッティ家は現在アレッツォの郊外でアグリツーリズモを経営し、ワイン製造を中心とする農業会社も経営している。

アグリツーリズモ

郊外の自宅の敷地内には別棟でコンドミニアム形式の建物が何棟かあり、夏場には遠くドイツからの宿泊者も訪れる。

男爵家におけるパーティの様子